94歳の祖母の涙と、長生きしてくれることへの感謝
先日、94歳になる私の祖母が、声を上げて泣いている姿を目にしました。
祖母はこれまでの人生で、夫だけでなく、自分の息子にも先立たれました。 少しでも足元がふらつくと、「おばあちゃん、もうダメだ」と口にします。日々迫りくる身体の衰えや、生きることへの不安に、毎日押しつぶされそうになっているのではないかと感じます。
そんなとき、私にできるのは「大丈夫だよ、大丈夫」と声をかけることくらいです。 もしかしたら、私がいる間は弱音を吐くのを我慢しているのかもしれません。その日は、私がもう帰ったと思ったのか、人知れず泣いていました。私と顔を合わせているときは、心配をかけまいと強がって、笑顔を見せてくれているのだと気づきました。
94歳の祖母の日常
現在、祖母は週に3回デイサービスに通い、毎日の訪問サービスを利用しながら自宅で暮らしています。
娘である2人の叔母が朝と夜にそれぞれ食事などの支度をしていますが、夕飯は配食のお弁当ですし、朝や昼も決して手の込んだものではありません。
私は週に1?2回ほど様子を見に行き、手作りのおかずやおやつを届けています。
介護に関わる家族には、それぞれ自分の生活や事情、抱えている余裕の違いがあります。誰かを責められるものではありません。 それでも私は、どんな状態であっても、祖母が「幸せだな」と感じられる時間が少しでも増えてほしいと願っています。
出不精な祖母は、外へ出かけようと誘っても首を縦に振りません。だから結局、今の私にできる精一杯のことは、顔を見せて、美味しいものを届けることくらいです。

長生きをしてくれることが嬉しい
世間では「長生きをすると介護や生活が大変になる」と言われることもあります。 けれど私は、少なくとも祖母がこうして今も長生きしてくれていることを、心から幸せだと思っています。
父や祖父を見送ったとき、私は「生きるとは、自分を愛してくれた人たちと順番にお別れしていくことなのだな」と痛感しました。
自分を無条件に愛してくれた存在が、一人、また一人と旅立っていく喪失感。
だからこそ、私は祖母に一日でも長く生きていてほしいと願ってしまうし、祖母自身にも日々の生活の中で幸せを感じてほしいと強く願います。
両親はもちろん、祖母がいなければ、今の私はこの世に存在していません。
戦中・戦後の厳しい時代を生き抜き、女性の権利がほとんど認められなかった時代を耐え抜いてきた人です。きっと長年の人生の中で、「自分が欲を出して幸せになろう」と考えることすらしてこなかった世代なのだと思います。
本当に我慢強く、どこまでも優しい祖母。
その生き方を、私は心から尊敬しています。
何ができるわけでもないけれど、今日もまた、祖母の命がここにあることに感謝しながら、顔を見に行こうと思います。
いつも生徒のみなさんには祖母のことを気にかけていただき本当にありがとうございます。
先日も一緒に大判焼きを食べました!!
1つペロリと。
まだまだ元気です。