幸福な偶然は何かに執着してる間には起きない?
今回のコラムテーマはヨガ的思考で幸福を呼び込むことができるか!?です。
ヨガ的思考とはなんでしょうか?
ヨガとは、全ての執着を手放して心の動きを収めることです。
あれはこうあるべきだ。
あの人が〇〇だから私がやらなくちゃ
女性だから
男性だから
もう年だから
周りに〇〇って思われたくない
〇〇がないと苦しい
こんなに〇〇してあげたのに
わたしには〇〇が必要
このように必要以上のこだわりや執着はありませんか?
ヨガは、これをフラットにしていこう、いつでも〇〇はあってもいいしなくてもいい、と思える状態に心を持っていくためにあります。
そして、そんなふうに心をニュートラルに保っていくと、執着しなくても、その時に必要な物や事が自然と手に入っていく。
え?そんなのわかんないじゃん!
そんなわけないよ!
世の中そんなにうまくいかないでしょ!
と、思ったでしょ!!!笑
例えば、もし執着がなければ、心に余裕が生まれます。
すると無駄なくその時に必要な方向に心が向くし、そうなるように自分で無理なく行動していける。
うまくいくはずない、という執着を手放せば、新たなチャレンジも前向きな気持ちで取り組める。
日々、私たちが細かく選択する選択肢(何時に家を出る、とかどんなふうに挨拶するとか、言葉のチョイスも)を丁寧に選択して行動していけるんです。
さらには、いつでも大きなラッキーがほしいという執着さえ抑えられたら、小さなことにハッピーを見つけられるから、幸せと感じる時間も増える。
キレイ事に聞こえるけど、シンプルにそうなんです。
だから、アーサナ(ポーズ)にこだわるのは、ヨガとは言えないし、そこに幸福な偶然は訪れないのです。ましてやアーサナにこだわると怪我のリスクが高まる。
心地よく快適にアーサナを行えば、ヨガの恩恵は必ず訪れます。
なかなか、あってもいいしなくてもいいと思うのは難しいけれど、執着に気付ける心にはしておきたいなーと思っています。
ヨガを何のためにするのか。。。
幸福を 呼び込むためのヨガも良いかもしれませんよね。
ぜひ、身の回りで幸福な偶然が起きたら教えてくださいね!
ちなみに、私は、亡くなった祖父を担当していた訪問看護師の方が、数年後に偶然レッスンを受けにきていただけたことは幸福な偶然だと感じました。
祖父に親身になって看護していただけたことにお礼を言えて良かったです。
こだわりも時には必要だけど、捉われず、いつでも手放すことのできる自分でありたいと思います。