【第4回】釈尊が示した「苦行の限界」と、現代的な自己探求の在り方
前回はヨガの歴史における「苦行(タパス)」の意義について解説しました。今回は、仏教の開祖である釈尊(ブッダ)の経験と、現代における修行の向き合い方、そしてクンダリニー覚醒後の注意点について考えます。
1. 釈尊の挫折と「中道」への転換
仏教の開祖である釈尊は、悟りを開くまでの6年間、徹底した苦行に身を投じました。「肉体を苦しめれば心の汚れが消える」という当時の考えに基づき、死の一歩手前まで自分を追い込んだのです。
しかし、釈尊はその限界の中で一つの真理に到達しました。どんなに肉体を痛めつけても、一時的に欲求が抑えられるだけで、根本的な苦しみの解決には至らないということです。釈尊は「苦行では悟れない」と判断し、過度な苦行を捨て、菩提樹の下での瞑想へと舵を切りました。これが、極端を避ける「中道」の教えの始まりです。

2. 「止」と「観」:静寂の中での観察
苦行を離れた釈尊が重視したのは、心を静める「止(サマタ)」と、物事をありのままに観察する「観(ヴィパッサナー)」です。自分を攻撃するのではなく、自分の内面を客観的に見つめることで、苦しみの根源を理解しようとしました。この転換は、現代のヨガやマインドフルネスの基礎にもなっています。
3. クンダリニーの視点と現代の修行
現代のトランスパーソナル心理学やクンダリニー・ヨーガの視点では、苦行はエネルギーを呼び覚ますきっかけにはなり得ますが、一度エネルギーが動き出した後は、「穏やかで調和のとれた実践」が必要であると指摘されています。 むしろ、物理的な苦行よりも、修行の過程で遭遇する精神的な困難や「内なる影」に向き合うこと自体が、現代における「内面的な苦行」であるという見方もあります。
4. まとめ:智恵という奪われない武器
古代から現代に至るまで、ヨガの形は変化してきましたが、一貫しているのは「最終的な解脱や合一」を目指すプロセスであるという点です。 インド思想では「智恵がないことが苦しみを生む」と考えられています。智恵は誰にも奪われることのない武器です。過度な苦行に走るのではなく、正しい知識と実践を通じて、揺るぎない自分を築いていくこと。それこそが、私たちがヨガを通じて目指すべき道ではないでしょうか。
【補足:トランスパーソナル心理学とクンダリニーについて】
本コラムで触れた「クンダリニーの覚醒」や「意識の変容」は、現代のトランスパーソナル心理学(個人の枠を超えた意識の領域を研究する心理学の一派)においても重要な研究対象となっています。(不思議と思われる現象を研究して学問にしていてすごい!!)
同分野の研究では、激しい修行や特定の瞑想、あるいは極限状態(臨死体験など)において、通常の自己意識を超越するようなエネルギーの動態が生じることが認められています。これを「クンダリニー現象」や「精神的緊急事態(スピリチュアル・エマージェンシー)」と呼び、適切に扱うべき成長のプロセスとして定義しています。
しかし、こうした強力なエネルギーの覚醒は、適切な指導者や環境なしに行うと、心身に一時的な不調や混乱を招くリスク(魔境や自律神経の乱れなど)があることも指摘されています。そのため、古典的なヨガの教典や現代の心理学的知見のいずれにおいても、独学での無理な追い込みを避け、段階的かつ安全な修練を行うことが強く推奨されています。