【自己受容】「愕然とする」ことから始まる、本当の心の大掃除
先日開催した「年末瞑想ワークショップ」では、多くの方にご参加いただき、「心の大掃除」の時間を共有することができました。
その中で、ある生徒さんからいただいた感想がとても印象的でした。
「ワークを通じて自分の捉われのクセに気づき、愕然としました。あーもう、これとはさよならしたい!と強く思いました」
「愕然とする」——それは、今の自分をありのままに見つめることができた、とても勇気ある一歩です。

「ジャッジしない」という優しさ
ヨガや瞑想の世界で大切にしているのは、「ジャッジしない(非判断)」という姿勢です。
私たちは日常、無意識に自分を評価して生きています。「こんなことを考えてしまう自分はダメだ」「もっとこうあるべきなのに」。特に自分の嫌な部分や、執着している「捉われのクセ」に気づいたとき、私たちはつい自分を責めてしまいがちです。
今回、イベント前の1週間、もしくは今月、自分が何に一番捉われていたかを思い出していただくワークを行いました。
食べ物に捉われていたのか?仕事に捉われていたのか?人に捉われていたのか??
そしてその根底にあるのは、他への期待か、欲か、執着か。。。
分析をしてもらいました。
例えば、年末、大掃除にずっと気を取られていたならば、それは年末までにやらなければという固定概念が原因と考えられます。掃除をすることは大切だけれど、それに捉われて”今”に意識を向けられないのなら、いつでもやれるときにやればいい。固定概念なんて、時代や国、男女、世代、それぞれに違ったり、変わったりします。つまり、移ろいゆく固定概念に執着する必要なんてないんです。
自分の捉われを分析していくと、それが捉われるほどのものなのかが見えてきます。
このワークで自分の執着や弱さに気づいて「愕然とした」のなら、それは「今の自分」を隠さず、まっすぐに見ることができたという証拠。ヨガの目的である「心の作用の止滅」への第一歩を、まさに踏み出した瞬間なのだと思います。

「自利」がなければ「利他」につながらない
ワークショップでもお伝えしましたが、ヨガには「自利(じり)」という考え方があります。
「まずは自分を大切にすること、自分の心を満たすこと」。
実は、インド哲学の中で、ヨガはこの自利という域を超えないのです。
インドの長い哲学歴史の中で、自利がある上で利他も必要な概念であると思想を深化させたのが仏教でした。
自利ができて初めて、私たちは誰かの幸せを願う「利他(りた)」へと繋がることができます。自分を厳しくジャッジし、責めている状態では、他者へ本当の優しさを向けることは難しいのです。
もし、自分のクセに気づいて「さよならしたい」と思えたのなら、まずはそのクセを持って今日まで頑張ってきた自分を「お疲れ様」と労ってあげてください。
2026年、真っ白な舞台を整える
2026年が幕を開けました。今日、この瞬間から、もしまたいつもの「捉われ」が顔を出したとしても、焦る必要はありません 。
そんな時は、こう唱えてみてください。「あ、また私の心のクセが出ているな。でも、今はそれに気づけているから大丈夫」 。
瞑想によって自らの心を統御し、自分を大切に扱う「自利」の心を持って、この一年を軽やかに歩んでいきましょう。