自己責任論を超えて。ヨガインストラクターが語る「私にも責任がある」真実~山梨昭和ヨガ教室
突然ですが、あなたは「目の前の出来事は、全て自分の蒔いた種の収穫である」という言葉を聞いたことはありますか?
これは、ヨガや仏教で大切にされている「カルマの法則(業)」の基本的な考え方です。日本でいう「因果応報」や「自業自得」に近いかもしれません。自分のした行いが、必ず自分自身に返ってくるという教えです。

この教えを、私は長年、頭では理解しているつもりでしたが、今年、高野山大学大学院でインドの哲学を学び、そして私自身の父の経験と向き合う中で、その意味の深さ、つまり「全ては繋がっている」という本質を、ようやく心から理解し始めた気がしています。
私のカルマと父の姿
私の両親は離婚しており、父はうつ病やアルコール依存症といった困難な状況を経験しました。後に父ががんを患ったとき、正直なところ、私は「父自身が自分で蒔いた種だから仕方がない」という突き放した考えを持っていました。自分の問題は、その人の責任であると。
しかし、父が入院し、20年以上ぶりに長い時間を共に過ごす中で、私の心境に大きな変化が起こりました。父との会話やその様子を見ていると、私が見ていた父の姿は、あまりにも一部分でしかなかったと気づかされたのです。
「本当は、もっと私が父に対して違う言葉をかけてあげられたのではないか?」
そうしていたら、今の父の状況も、私が父に対して抱く感情も、変わっていたかもしれません。
全ては繋がり、影響し合う
父の様子を見て、私が苦しく感じるこの感情は、父のせいではなく、私自身のカルマではないか?そう考えると、やはり、父のことではあるけれど、私自身がそう感じてしまう種を気づかずに蒔いていたということになります。つまりは、私にも責任の一端があるのではないか、と感じるようになったのです。
この気づきは、カルマの法則を、単なる「個人の責任論」で終わらせてはいけないということを教えてくれました。
全ての存在は、繋がり合って生きています。
誰かの問題は、完全に切り離された「他人の問題」では済まされないのです。
誰かの問題は、私の問題にもなりうるし、逆に、私の問題は誰かの問題にもなりうる。これは、弘法大師空海が説いた「森羅万象すべてはつながりあって存在している」という教えにも通じます。
私たちは、物理的にも内面的にも、一人では生きていけません。私たちは、意識している、していないに関わらず、様々なものから影響を受け、そして様々なものに影響を与えているのです。
今この瞬間に種を蒔く
私たちは、日々の思考、言葉、行動によって、常に未来の自分自身や、周りの世界に対して種を蒔き続けています。
過去の出来事は変えられませんが、過去の捉え方や、そこから何を学び、「今、この瞬間にどんな行動をとるか」は、完全に私たちの裁量にあります。
ヨガで大切にする「今この瞬間を大事に過ごす」という教えは、このカルマの法則を意識して生きること、つまり、愛と智慧という良い種を蒔き続けることだと今の私は解釈しています。