【介護の疲れと後悔に】ヨガ哲学で心を休ませる方法 | 山梨県昭和町のヨガ教室
今日は、久しぶりにレッスンに参加してくださった生徒さんとの対話から、「やさしさ」と「自己肯定感」について、私が大学院で学んだヨガ哲学の視点も交えてお話ししたいと思います。
介護の中で生まれる「後悔」と「とげとげした心」
本日、ご高齢のご両親のケアのために3週間ほどお休みされていた生徒さんが、朝のクラスに参加されました。
お仕事と並行して介護をされているため、心身ともに大変なことだと思います。
彼女が「分かっているのに、つい強い口調で接してしまい、後で『なんでもっと優しくなれなかったのだろう』と後悔してしまう」と話してくれた時、私は深く共感しました。
まだ実家にいた頃(当時父は元気でしたが)、私も父に対して優しくなれず、嫌な言い方をしてしまい、後で一人ベッドで涙した経験があります。
優しくできない自分が辛い。。。だからその生徒さんの気持ち、すごくよーーーくわかります!!

介護というものは、専門的な知識を持ったプロがいるように一つの職業として成り立っています。それを家族という立場で、行政からの最小限の補助を受けながら行うというのは、心身ともに疲弊して当然だと思います。特に、認知症などによって言動が激しくなると、介護する側の心はますます疲弊してしまいますよね。
「ギフト」としての経験と「折り合い」
私自身は、父のケアを通して、その短い時間が「何物にも代えがたい経験というギフト」をもらえた、と感じています。一人では生まれてこられない私たちは、必ず誰かのケアを受けて大人になります。もしご両親などをケアする機会があるなら、それはある意味で人生のギフトなのかもしれません。
しかし、これは私の場合、父に徘徊や狂暴化などがなかったから言えることです。もっと大変な状況であれば、そう簡単に「ギフトだ」とは思えなかったと思います。
大変な状況のとき、ここで大切にしたいのが、「唯識(ゆいしき)」という考え方です。
この「唯識(ゆいしき)」という考え方は、様々な困難に対して「折り合いをつけること」の助けとなります。
これは「すべては心がつくりだしている」という思想ですが、ここで言う「心」は、私たちが普段意識している表面的な心だけではありません。過去の経験やカルマが蓄積された深い層の「心」も含みます。
私たちが「優しくできなかった」と後悔する時、それは介護の疲れやストレス、そして過去の自分との関係性など、様々な「心」の働きによって起こった結果です。自分を責め続けるのではなく、「今は、心身ともに疲弊して、優しさを出すエネルギーが枯渇している状態なのだ」と、自分の状態を客観的に認識することが、この「折り合い」につながります。
幸せホルモンと「自分軸」の確立
私が提供できる最大の幸せの一つは、皆さんが「内なる強さと回復力(レジリエンス)」を向上させることです。そして、それはヨガを通じて得られる「自己受容」の感覚と深く関わっています。

ヨガのゆったりとした深い呼吸は、リラックス効果をもたらす副交感神経を優位にし、幸福感をもたらすセロトニンの分泌を活性化させると言われています。つまり、ヨガを行うこと自体が、心が穏やかになり、結果として他者に優しくなれるエネルギーをチャージする行為なのです。
また、ヨガは瞑想によって心を静め、「自分軸」を持てるようになる手助けをしてくれます。周りの価値観や、介護という大変な状況に流されず、「私がどうありたいのか」を自分に問いかける力を養うことができます。
あなたが幸せでいること、心身が健やかであることは、立派な社会貢献です。
あなたが幸せのバイブレーションを発することで、それは波紋のように広がり、周りの家族や大切な人たちにも共鳴するからです。
最後に伝えたいこと
ケアする側のメンタルや体力がベストコンディションであることが、最も大切です。
もし今、あなたが自分を責めてしまうほど心が疲弊しているなら、それは誰かに助けを求めるべきサインかもしれません。
あなたのヨガの時間は、誰かに優しくなれなかった自分を責める時間や振り返る時間ではなく、「身体の声を聴き、心と体を再び統合する」ための安全基地(セーフベース)です。そして、その練習の積み重ねが、あなた自身の強さとなり、困難な状況を乗り越える力になっていきます。
まずは、呼吸とともに、今この瞬間の自分を感じ、心身の解放感と平穏を取り戻しましょう。
もし、このコラムを読んで「私も自分の心と体を休ませる時間がほしい」と感じたら、ぜひ一度、当スタジオの体験レッスンに参加してみてはいかがでしょうか?
yogaschoolTSUNAGUでお待ちしています!!