ヨガのきっかけはご家族を亡くしたこと
ヨガを始めようと思ったきっかけの中に、ご家族との死別を経験し、ふさぎ込んでいた自分を変えたいと思ってヨガに申し込んだといったお話をよく伺います。

私も、昨年父を亡くし、深い喪失感を体験しました。
当たり前に存在した人が、いなくなる。
深い悲しみとともに、後悔やくやしさも感じました。
ヨガは自分の心と向き合うことですが、その悲しみの中で自分と向き合うことは、辛くなるのではないかと思いました。
でも、やっぱりヨガはどんな時も味方になってくれるものでした。
悲しみを持った自分の心と向き合うというのは、悲しみに溺れることではありません。
長い人生の中で、心の表情はコロコロ変わります。
悲しみの表情を持った心も、根底に悲しみがあったとしても、楽しいと感じる瞬間もあるし、可笑しくて笑ってしまう瞬間もあります。
心と向き合うとき、その心の表情を観察するのが正解なのです。
だから、悲しみの中で自分の心と向きあうとき、「あぁ、私今悲しいんだな、悲しいってこういうことか。」とか「悲しみの理由は、愛していたから、愛されていたからだな」とかそんな風に観ていきましょう。
そうすると感情に溺れることなく、悲しみを経験として引き出しにしまうことができてきます。
もちろん事実は変えられない。
悲しいことは悲しい。
東洋の考え方では、私たちは経験を積むために生まれてきています。
だから、どんなこともきちんと向き合って経験する必要があります。
誰もが生まれたら死にます。
誰かの死は悲しいけど、自分もいずれ通る道をみせてもらっている。
私はそう思うようにしています。
自分と向き合うためとか、誰かの喪失感から抜け出そうとか、そんなに意気込まなくても、何気なく参加したヨガレッスンに救われるときもあります。
ただ、静かに自分を感じる。
悲しい出来事があると、それさえも忘れてしまうことがあります。
私たちは今この瞬間も生きています。
亡くした誰かと過ごした時間も今の自分を作り上げた一つの要素です。
そんな今の自分と大切に今を過ごすためにも、ヨガという時間は有効だと思います。