初めて能の舞台を観賞しました。
先日、高野山会議に参加してきたコラムを書きましたが、高野山会議では、能楽、囃子方大倉流小鼓方十六世宗家でいらっしゃる大倉源次郎さん(人間国宝でいらっしゃいます)のお話も伺うことができました。

能楽協会のHPによると・・・
「能」「狂言」は、室町時代からおよそ650年以上、途絶えることなく演じられてきた、日本を代表する舞台芸術です。「能」「狂言」を合わせて「能楽」と呼んでいます。古くは豊臣秀吉や徳川家康など多くの武将に愛され、現代ではユネスコの無形文化遺産に登録され、海外からも高く評価されています。様々な舞台芸術に影響を与えてきたとされています。
(ようこそ!能楽の世界へ | 公益社団法人 能楽協会より)
私が大倉源次郎さんのお話の中で心惹かれたポイントは次の2つ。
- 能を式学として武士に学ばせていて、これが国づくりの基礎の一つとなったこと
- 能は引き算の表現であること
能は、過去の日本で起こった様々な出来事(古事記)も含めて演目にしてきたそうです。つまり、過去の出来事の演目から、倫理観や文化を学ぶことができたということです。
能には紫式部を罰する演目があるそうです。紫式部といえば源氏物語ですね。
なぜ紫式部が罰せられるのかというと、源氏物語の中でたくさんの人を傷つけたり、悪者にしたりしたから。
実際にはこういった理由で紫式部が罰せられはしなかったけれど、これは現代においてもその倫理観を学ぶのにちょうどよい演目になります。
たとえば、この源氏物語をSNSに例えたらどうでしょう。
SNSのような実体のつかめない空間でも、人を傷つけたらダメですよね。
そういった倫理観を能は教えてくれるということなんです。
また、能は複雑に絡み合う現実を引き算の美学で、必要な物だけで表現するのだそう。
時代が進むにつれて、たしかに社会は複雑になっていますよね。
本当に必要な真実はいつの時代もシンプルです。
人間の欲が複雑化して私たちの求める物も派手になっているだけなんですよね。
あと、これは後から調べてわかったのですが、能の鼓の音や発する声に陰と陽があるんですって!!おもしろい!
このようなお話を伺い、心惹かれて早速どこかで能を観られやしないかと検索すると、高野山から帰ってすぐ山梨県内で観賞できるチケットが売っていました。なんてタイムリー!!
迷わずチケット購入。
高野山での日々は忙しく、演目の詳細をみることもなく公演当日。
この日は大雨。今回の舞台は屋外で屋根もないところでしたので、パンフレットを広げてみる余裕なし。
ガイドも聞く余裕なし。

能楽は狂言も含まれるので、前半狂言の演目の後に能の演目でした。
能の時間になって奏者の方々が舞台に出てこられました。
その中に、なんと大倉源次郎さんが!!!!!
私が能をみるきっかけとなった方の実際の舞台を観られるなんて!!!
光栄すぎるし、なんてラッキーなのか。
しかし、屋外では経験したことのないほどの大雨、雷。
観客の7割の人々が帰る中、能の舞台は演じ続けられました。
舞台はまるで異次元かのような雰囲気。
それは舞台にいる方々が、そこに魂をそそぎ、心が不動であったからなのだと思いました。
まるでヨガの目指す境地のように、舞台の外で何が起こっていても影響されず、目の前にある表現に意識を集中させているようでした。
そしてそんな人々の集中力や表現はとてもとても美しい。
本当に素晴らしい空間で、表現者の方々に心から敬意の拍手を送らずにはいられませんでした。
とてもよかった。
また絶対に能を観に行こうと思います。
せっかく日本に生まれたのだから、こんな素敵な日本の伝統文化をきちんと学びたいと思ったし、改めて日本の伝統は世界に誇れると確信しました。