みんなが抱えているストレスにヨガ哲学ができることとは?
レッスン後やレッスン前、ほんの短い時間ですが、生徒さんからストレスや悩みを伺うことが少なくありません。
お仕事のこと、家庭のこと、義理のご家族のこと、友人や趣味のことなど。
もちろん、体のことも。
私よりも先輩の方が多い中で、私が伝えられるのは、ヨガ哲学ではそのストレスや悩みをどう捉えるのか?ということです。
対人関係において感じたストレス
- 信頼していた人に嫌な言葉を投げかけられた。
- 理不尽に怒られた。
- 自分が悪いわけでないのに指摘されて、後々のことを考えてグッと我慢してその場をやり過ごした。
などなど、こちらは平穏に過ごしたいのに、攻撃を受けることって少なくないですよね。
こういったストレスを感じてしまったとき参考にしてほしい『ヨーガ・スートラ』の言葉。
一章三節
「そのとき(心が止滅できたとき)、見る者(自己)は、それ本来の状態にとどまる。」
この、「そのとき」というのは、心が止滅され、コントロールできている状態のときを指します。ストレスを感じたときではないです。
文章難しいんだよねー!!w
この節で何が言いたいかというと。。。
世の中の事象は全て、自分の経験や固定概念から良いとか悪いとかを決めている。だから、いつでもその事象を心の内側から、経験と固定概念で判断して感じると、悪い時はもう許せないし、苦しくなる。
そうではなくて、その状況を少し俯瞰してみるのが正解だということ。
”本来の状態にとどまる”という一文は、本来、心は平穏で落ち着いているということです。
例えば、ある国に行けば、人殺しが悪にならない地域もある。
犬を食べる国もある。
裸で過ごす部族もある。
戦争中は人を傷つけても捕まらないのに、終戦したらそれは許されない。
誰かの不幸が誰かの幸せということもある。
世界中には本当にいろんな価値観があって、いろんな倫理やルールが存在していますよね。
それって、地域を狭めたからって解消できる問題じゃないんです。
他国だから価値観が違うんじゃない。
もちろん、土着文化が違うから、違う価値観があるけど、理由はそれだけじゃない。
それぞれの人間がみんな同じ価値観をもって過ごすことはできないということ。
これ、普段から、他の国のこととしてニュースなどで俯瞰してみていますよね?
俯瞰してみているときは苦しくないけど、そのストレスや問題の渦中に心を沈めてしまっては苦しくなるんです。
相手のゲームには参戦しない。
攻撃は人間の持っている防衛反応だし、そもそも、安易に人を傷つける人は、こういった5000年も続く、ヨガのような聡明な哲学は持ち合わせていないと理解してあげるのも、俯瞰してみる手段となります。
そもそも、傷付いた、攻撃されたと感じてストレスを感じるということは、少なくともそれを人にしない方が良いと気付けているということですよね。
こんなふうにコラムを書いている私でも、ときにストレスを感じることもあります。
寝てもどうにもならない場合は、俯瞰的にみた状況を紙に書いてみます。
そのうち書くのがめんどくさくなってどーでもよくなりますw
もしくはヨガやったらスッキリしちゃいます。
どうにも苦しいこともありますけどね。
時間に解決してもらったり、推しに解決してもらったり。(推しなんていないけどw)
他に何か良い方法、みんなでシェアできたらうれしいです!!
ストレス社会と呼ばれる現代、せっかくの毎日を笑顔で楽しく過ごすための武器としてヨガを選んでいただければ嬉しいです。