私たちが生きる世界が変わってしまったとしても
先ほどのレッスン後に生徒さんとの会話の中で、AIのことが話題にあがりました。
私は大学院で論文を書いているとき、AIがどんどん普及して進化していったら、論文なんて書く意味なくなるんだろうな。。。と何度も思いました。
むしろ、今やっていることに意味なんてあるのだろか。。。とさえ思うこともありました。

でも、私たちは合理的で便利に暮らすために生まれてきたわけではないですよね。
どんなに非合理的で大変な作業だって、それを仕上げた過程の中で、心の豊かさは育つし、色んなことを考えてこの体と頭を使って作り上げたものであれば、その完成時には大きな感動となり、喜びにかわります。
生きるってそういうことだと思うんです。
この五感を使って、様々なものを感じて、考えて、答えが出たり出なかったりしながら死んでいく。
便利だから暮らしているわけではない
”わざわざ”とか”いちいち”とかの中にしかない感動や充実はあるはずだと思うんです。
AIが発達して、ぼーーーーっとしていても暮らせる未来がくるかもしれない。
ただぼーーーーっとしていて満足できるほど私たち人間はできた存在じゃない。
煩悩だらけの生物はそれでもまだ、もっともっとと欲しがる。
タイパもコスパも良くなってももっともっとと満足しない。
そんな生物であることをいったん受け止めて、じゃあ何が必要かと考えれば、不完全な存在でありながらも、その欲も含めて、”いちいち””わざわざ”を無駄にしないこと。合理的で効率が良い世界=幸せで豊かな世界ではないことをきちんと理解することだと思います。
生きていれば色んなことがあって、幸せに感じるときばかりじゃないけれど、それでもたくさん感じてめんどくさがって、楽しんで、喜んで、感動して、悔しがって、悲しがって最後には『生きたなー』と思って死んでいきたいと思うんです。

AIがもっと進化すれば、私たちの五感はもっと働かなくなって、空の青さも忘れてしまう。
レッスンが終わってスタジオの扉を開けた時、生徒さんがよく口にする「あー空がきれい!」「あー気持ちい!!」。
同じ空をみて、きれいと思える自分かどうか。
すごく大事な感覚です。
今日もヨガで五感を働かせて、自分の感覚とともに生きましょう。
こんな現代だからこそ、ヨガはとてもおすすめなんです。