「40代、いろいろある。―― 自分の世界だけでは成り立たなくなった日々の中で」
先日、SNSで見かけた、ある編集者の投稿が心に深く刺さりました。
おそらく40代後半か50代前半。
いわゆる「成功者」に見える彼が綴っていたのは、煌びやかな日常ではなく、地方で暮らす認知症のお母さまのことでした。

認知症と診断された日、病院から実家へ送り届け、東京へ戻る道中。
お母さまから「テレビがつかない」と電話が入ります。
リモコンの存在を忘れてしまったのです。
彼は引き返し、リモコンを渡しました。
お母さまは申し訳なさそうに、何度も「ありがとう」と言ったそうです。さらに時間を取ってしまったと、財布からお金を出し、「これでタクシーで駅まで行って」と。そのお金は彼が少し前にお母さまに渡したお金だったそうです。
そんな出来事さえもお母さまは忘れていくけれど、彼の中にはずっと残り続ける。
自分自身の今と重ねてみてしまう
その投稿を読みながら、私は自分自身の「今」を重ねていました。
40代。本当に、いろいろあります。
めまぐるしく過ぎる日々の中で、私の外側の世界もまた、少しずつ変わり続けています。 一昨年には、父が亡くなるなんて思ってもみなかったように。
祖父が入院し、それをきっかけに祖母の気力が弱まり、軽度の認知症のような症状が出始めました。
自分の見えている世界でがむしゃらに頑張っていればよかったはずなのに、気づけばそれだけでは、自分を取り巻く世界が成り立たなくなっていました。
先週、親友のお父さまが脳梗塞で入院したという知らせが届きました。 ご両親は関西に住んでいます。
ここ山梨からは、すぐに駆けつけることはできません。
もどかしいジレンマ、お父さまの後遺症への不安、そして側で看病するお母さまへの心配……。
友人の抱える葛藤は、決して他人事ではないなーと感じました。
私たちは今、まさに「そういう世代」を生きているのだと、強く実感させられたのです。
それでも私は祖父母と過ごす日々の中で、幸せを感じています。
私が今、祖父母に対して恩返しができるせいいっぱいのことをやりたいと思います。
学生の頃は、祖父母との時間を作ることをしてこなかったけれど、今そういう時間が持てることがとても嬉しいです。

私たちは経験を糧にできる
40代。もう本当に、いろいろあります。
祖父母のことだけでなく、他の家族や実家のことなど。
50代ももっといろいろありそうな気がします。
若い頃は、家の問題は親世代が解決してくれていました。
もう、見て見ぬふりをして通り過ぎることはできません。
この「いろいろある」という重み、そして大切な人を想い、ままならない現実に立ち向かうことこそが、大人になったということの証なのかもしれないと感じています。
インド哲学で言えば、経験するために私たちはこの世に生まれてきました。
みんな大変なことはたくさんあって、なんでと思うときもあるかもしれません。
でも、目の前にある立ち向かうべきことに、「経験させてもらおう」という気持ちで挑んでいきたいと思います。