高野山リトリート報告:松長潤慶学長に学ぶ「生かせいのち」とヨガの利他精神
先日の高野山リトリート、事故もケガもなく、無事に帰ってくることができました。
これも、ご参加いただいたみなさんのおかげです。
本当にありがとうございました。
今回のコラムでは、リトリートの中で大変すばらしい講義をしていただいた、高野山大学の松長潤慶学長による「生かせいのち」の解説について、私なりの気づきを交えて書いてみたいと思います。
「生かせいのち」とは?
高野山を訪れると、街の様々な場所で「生かせいのち」という言葉を目にします。これは、高野山真言宗のとても大切な標語です。

そもそも、「いのち」とは何でしょうか?
あなたは「いのち」について考えたことがあるでしょうか?
弘法大師空海は、私たちの「いのち」とは「生かされている」と説きます。
実際、そうですよね。
酸素がなければ窒息してしまうし、食べ物がなければ飢え死にしてしまう。
母という存在がいなければ生まれてこないし、基本的には、様々な場面で多くの助けがあって大人になります。
自然の循環のおかげ、人々の持つ慈悲のおかげで私たちは生きることができています。
誰かや何かのおかげで、今ここにある。それが「生かされているいのち」の本質です。
「生かされているいのち」を、どう生かすか
もし、自分のいのちが多くの繋がりによって「生かされている」ものであるならば、それをどう使うべきでしょうか。 「自分の人生なのだから、楽しいことだけをやって、自分のためだけを考えて生きていけばいい」ということには、きっとなりませんよね。
「生かされているいのち」だからこそ、今度はそれを、誰かのために使う。 これこそが「生かせいのち」という言葉の、本当の意味なのです。
自分の枠を超えて、誰かのために何かを行うこと。これを仏教では「利他(りた)」といいます。 ひたすらに利他を実践していくことは、決して簡単なことではありません。自分のことで精一杯で、難しいときだって当然あります。
まずは自分自身を満たし、心身を整えること(自利)も、とても大切なステップです。その上で、ほんの少し「誰かのために」という意識を持って生活してみる。それだけで、私たちのマインドは驚くほど豊かになりますし、自分をもっと好きになれるきっかけにもなると思うのです。
リトリート後に届いた、愛おしい「利他」の循環
リトリートから帰ってきてからも、生徒さんたちの日常の中で「利他」の意識がしっかりと息づいていることを知り、胸が熱くなりました。
ある生徒さんからいただいたアンケートをご紹介させてください。
先生やご参加の皆さんとの会話、松長学長の講義など、書ききれないほどの気づきがあったのですが、その中でも私の心に大きく響いたのは「自利と利他」の話でした。 恥ずかしながら私はこれまでの10年間、自分自身と向き合うことで精いっぱいでした。特に東京で生活していた頃は、尚更でした。 でも、自分と自然・社会・過去などの大切な存在とが「つなぐ」「つながる」ことの心地よさ・有難さを知ったことで、自分が真の意味で「生かされている」ことに気づいたのだと思います。 学びを深めて自信をつけながら、心身ともに自分自身の力で立ち上がること。自分を律してようやく、まわりを幸せに、元気にすることができること。 私がこの10年間行ってきたことは自利の行為であり、まさにそこから一歩踏み出そうとしているタイミングなのかもしれないと気づきました。 まわりの誰一人として欠けていては、いまの自分は存在しない。あらゆることに感謝して、自分のいのちを社会で生かしていきたいと強く思いました。
とても素敵なメッセージ、本当にありがとうございます。
「いのち」と自利と利他、きちんと向き合われている様子が伝わってきました。
今回のリトリートがご自身の学びを深め、自利が利他へつながる力、律する力になっていると感じられ、心から嬉しく感じます。
他の生徒さんからのアンケートにも、わんちゃんのお散歩の際にゴミを拾ってみたということが書かれていました。
まさに、「生かせいのち」の実践ですね!!
今この地球に暮らす人々が、自分のいのちと向き合い、「生かされている有難さ」に気づく人が増えたら、世の中はもっと優しく、良くなっていくと確信しています。
私も、日々の生活の中で生かされているこの「いのち」を、利他をベースに大切に生かしていきたいと思います。