【50代からのヨガ】「生きている」から「生かされている」へ。高野山で出会う、人生を深く整える瞑想とヨガ
「人は何のために生きているのだろう」——。
誰しも一度は自分自身に問いかけたことがあるような、人生における根本的な問いかもしれません。
日々の慌ただしい生活の中で自分を見失いそうになったとき、あるいは生き方の道標を求めているときにこそ、ヨガや古くから伝わる智慧が私たちの心を優しく照らしてくれます。
前回の高野山リトリートにご参加くださった生徒さんも、今回の体験を通して自らの生き方やヨガとの向き合い方に、とても深い気づきを得られたお一人でした。

高野山という聖地で密教の教えに触れ、自分の心や身体と向き合う時間を重ねる中で、その生徒さんはアンケートにこのような素晴らしい想いを綴ってくださいました。
「『人は何のために生きているのか』は誰もが一生を通して考える事であると思うが、今回密教を学ぶ事により『生かされている存在である』と知りました。その事に感謝し、他の存在の役に立つ行動をとる事にこそ、生きている意味がある。いわゆる『利他の心』を持つために、自分と向き合い瞑想する。ヨガとの接点であり、密教の瞑想の意味を知ることにより、ヨガでの自分の心と体との向き合い方が深まった気がします。」
「自分が生きている」のではなく「生かされている」という気づき。
その感謝の思いから自然と芽生える「他の存在の役に立ちたい」という「利他の心」。
それこそが、私たちが日々瞑想を行い、自分自身の内側と丁寧に向き合う本質的な理由なのだと、この生徒さんは見事にご自身の体感として受け取ってくださいました。
ポーズ(アーサナ)をとる身体的なアプローチだけでなく、その根底にある瞑想の意味や密教の智慧を知ることで、ヨガは単なる運動ではなく「自分という存在を深く知るための学び」へと変わります。
自分を整えることが、結果として周りの大切な人や社会へ温かい循環となって広がっていく——。
まさにヨガと生き方が美しく調和した瞬間でした。
yogaschoolTSUNAGUでは、ポーズの形にとらわれることなく、自分自身の心と身体を慈しみ、日常をより豊かに生きていくための「学びと智慧」を大切にお伝えしています。
秋に開催する次回のリトリートでも、聖地での深い学びや瞑想を通して、皆様が自らの内側にある温かい感謝の気持ちや本質的な気づきに出会えるような時間をご用意してお待ちしております。
自分自身とじっくり向き合う贅沢なひとときを、ぜひご一緒しましょう。