人権週間とヨガ
12月4日から10日までは人権週間でした。
日本では人権について学び、深く話し合う機会はまだ少ないように感じます。
先日のレッスンで生徒さんに伺った際も、人権週間の存在を知っている方はほとんどいらっしゃいませんでした。

私が「人権」という言葉から真っ先に思い出すのは、10年以上前に訪れたモロッコでの出来事です。
当時、宿泊していた宿の食事を作ってくれていた女性に、夕食のおすすめを聞こうとしました。当時はまだ翻訳機能が今ほどスムーズではなく、音声変換もありませんでした。

私はスマートフォンの画面にアラビア語で「どこか美味しいご飯屋さんはありませんか?」と打ち込み、彼女に見せたのです。
しかし、彼女は困ったようなジェスチャーをして、文字が読めないことを私に伝えました。その瞬間、私はハッとしました。彼女は、学校で学ぶという基本的な「教育を受ける権利」を持たずに大人になった方だったのです。
私たちは、読み書きができること、話せること、聞いて理解することをごく当たり前に感じてしまいがちですが、それは保障された「権利」の上に成り立つものです。
もし文字が読めなければ、駅で切符を買うことさえ困難でしょう。私が日本からモロッコへ旅したように、飛行機に乗って入国カードを書くことも、彼女にとっては非常に高いハードルとなります。
つまり、教育という権利が欠けることで、彼女の「移動という自由・権利」までもが大きく狭まってしまっているという厳しい現状があるのです。
つい私たちは「ない」ことに声を上げがちです。
何かが「ない」ことに目を向けるのではなく、今私たちが当たり前に持っている権利に感謝する。この人権週間が、そんな大切なことに気づくきっかけになればと心から願っています 。
実は、ヨガの世界にも同じことが言えます。大昔、女性がヨガをすることは許されていませんでした。権利がなかったのです。しかし現代では、性別を問わず世界中の多くの人がヨガに親しんでいます。これは、私たちが「ヨガを楽しんでいい」という権利を得ている証です。
私は現在、本当にたくさんの生徒さんを指導させていただいています 。さらに今年、高野山大学大学院で修士号を取得し、専門的にヨガ哲学を深めてきました 。
どれほど私が情熱を持って学び、努力を重ねたとしても、それを伝える「権利」が認められない社会であれば、生徒の皆さんとこの時間を共有することはできません。今、こうしてヨガを生業とし、生徒の皆さんにその智慧を伝えられる現状を、私は心からありがたく、尊いものだと感じています 。
ヨガ哲学の根底には、他者への共感と、すべての存在を尊ぶ心があります 。自分の持つ権利を当たり前と思わず、その自由を大切に使いながら、これからも皆さんの心身がポジティブに変化するお手伝いをしていきたいと思っています 。
日々、呼吸ができること、学べること、そして自分らしくいられること。そのすべてに感謝を込めて。