「見栄や虚勢」は心の弱さ?ヨガ哲学で自分に自信を持つ智恵を学ぶ
私がまだ、いわゆるティーン世代だった頃。
まるで周りには敵がたくさんいるように感じていました。
味方も敵に変わるとさえ思っていた気もします。
本当は敵なんていないのに。
ガチガチの鎧を身につけて。
なんの助けにもならないのに窮屈な鎧でした。
なぜあんなにも周りを気にしていたのか??
たぶんきっとそれは、自分が弱かったからなのだと思います。
誰かを助けたり、守ったりする力がなかったから。
自分に自信がなくて、だからこそ虚勢を張ることもあったと思うんです。
甥っ子は美術部で、芸文祭の出品のために造形の作品を作る際に、ハイヒールとか、飾り物をイメージして何かを作成しようと考えていました。
なぜハイヒールなのかを聞くと、「ハイヒールは見栄の象徴だと思うから。自分を精一杯着飾って大きく見せるために必要だし、僕は、つい色んなところで見栄を張ってしまうから、今の自分を表現するのにぴったりだと思う。」
なるほど。面白い視点だなと思いました。
どう思うか問われた私は「見栄を張る、虚勢を張る、わかるよ。私も昔はそうだった。でも、今はそれがなくなったよ。それは、そんな見栄や虚勢を張らなくても、自分が培ってきた学びや知識があるから。大学院に行ったことで、ますますそういう感覚はなくなった。自分の学びに自信が持てたら、見栄も虚勢も弱いときに張るものなんだって気付いたよ。でも、高校生のうちはたくさん見栄張って、傷ついたり、喜んだりしたらいい。きっとそれが高校生を楽しむってことだよ。ハイヒール、いいじゃん!たっかいヒールでいっぱい見栄を表現してほしい。」そう伝えました。
結果的に、美術の先生にハイヒールの歴史もハイヒールがどんな人が履いているかもきちんと調べ上げてバックグラウンドを理解してからでないとダメと言われて、さらに先生に相談しながら別の作品を作ることになったそうです。
先生のバックグラウンドを知ることの指示も、すごく納得。
甥っ子にとっては良い学びになったことと思います。
インド思想では、智恵が無いことによって苦しみが生まれるといわれます。
また、心の毒のひとつに学ぼうとしないことが挙げられています。
智恵は武器。
金品は奪われても、智恵はだれにも奪えません。
そんなインドの智慧をこれからもコツコツとお伝えしていきたいと思います。