数々の講座を巡っても、なぜヨガ哲学が「腹落ち」しなかったのか
「もっと深く学びたい」「生徒さんに正しく伝えたい」
そんな想いから、私はこれまで本当にたくさんのヨガ講座に参加してきました。 解剖学、瞑想、アーサナの深め方、そしてヨガ哲学——。ありとあらゆる講座に足を運び、多くのお金と時間を投じて学びを重ねてきました。
解剖学に関しては、整体師としての知識とも合致し、理論上とても納得できるものばかりでした。しかし、ヨガ哲学に関する講座については、どれだけ受けてもどこか「なんとなく腹落ちしない」「こんなものなのだろうか」という不完全燃焼な感覚が胸の奥に残っていたのです。

ある講座を受け、疑問が残ればまた別の先生を探し、新たな門を叩く。 もちろん、どの先生から学んだ時間も私にとっては掛け替えのないものであり、学びの深い大切なプロセスであったことに違いはありません。
それにもかかわらず、なぜ「ヨガ哲学をしっかり学べた」「自分の中で完全に腑に落ちた」という感覚が得られなかったのか。
ヨガ哲学講座で腑に落ちなかった最大の理由
その最大の理由は、「先生によって言っていることが少しずつ違い、なぜその違いが生まれるのかという根本的な理由が分からなかったから」、「論拠や根拠をだれも提示しなかったから」でした。
1つの哲学的要素について、ある先生は「○○である」と言い、別の先生は「××である」と言う。 当時の私は、その解釈の違いが「個人の経験や好みの違い」なのか、それとも「歴史的な背景や学派、古典聖典の記述の違い」から来ているものなのかを判別する術を持っていませんでした。
そもそもヨガ哲学を学ぶということは、歴史学を学ぶことでもあり、民俗学を学ぶことでもあるけれど、そこまで突き詰めた講義を提供してくれる講座には出会えませんでした。
ベースとなる根拠(ソース)や文脈を知らないまま、それぞれの先生の「解釈の成果物」だけを切り取って受け取っていたからこそ、学べば学ぶほど自分の中で辻褄が合わなくなり、迷子になっていたのだと今なら分かります。さらに日本人である私にとって、日本の土着の文化や身近にある仏教というインド哲学がわかることがヨガ哲学を学ぶ近道になったはずだと感じています。

各講座の講師の「言っていることの違い」の正体を知りたい、表面的な解説ではなく根本にある真実を理解したい——。
その強い探求心が、のちに私を「大学院でインド哲学を本格的に修める」という次なる決断へと突き動かしていくことになります。
(次回は、「そんな私が選んだのは大学院に入学するということだった」へと続きます)
【ヨガインストラクター 手塚えりか】 整体師歴22年、ヨガインストラクター歴18年。ヨガが好きすぎてインド哲学を学ぶため高野山大学大学院(密教学専攻)修士号取得。ファンクショナルローラーピラティスベーシックインストラクター、マタニティヨガ、アスリートヨガ指導、瞑想指導者資格保有。年間延べ9000人ほどの生徒を指導。 山梨県昭和町 yogaschoolTSUNAGU:
https://tsunagu-yoga.com/