ヨガの本質はポーズではなく「執着を手放す」こと
かつて「ヨガ」という言葉が、単なる「スタイリッシュなポーズ」や「流行のエクササイズ」としてのみ消費されていた時期がありました。
私自身、ヨガを始めたばかりの頃は、ヨガ=アーサナ(ポーズ)の完成度を高めることだと思い込んでいた一人です。

今回は、情報の乏しかった時代を振り返り、ヨガの本質である「執着への気付きと手放し」という視点から、今の時代に私たちが向き合うべきヨガの在り方についてお話しします。
キャッチーな情報の陰に隠れた「本質」
私がヨガ指導者としての歩みを始めた頃、今のようにSNSで深い情報を得る術はありませんでした。
メディアが映し出すのは、海外セレブやモデルが美しいウェアをまとい、難易度の高いポーズを決める姿ばかり。
そこでは「いかに美しく、完璧なポーズを作るか」という外側への執着が、ヨガの価値であるかのように語られていました。

当時は、ヨガの深い智慧を真摯に伝えようとしても、その声は届きにくい状況にありました。残念ながら現在も、深い知識を持つ人の言葉より、メディア用に作り込まれたキャッチーなイベントの方が注目を集めやすいという現実は残っています。
しかし、ヨーガの本質はポーズの美しさにあるのではありません。その根底にあるのは、「自分の中にある執着に気付き、それを手放していくプロセス」です。
社会の変容がもたらした「浄化」
ここ数年、社会情勢の大きな変化によって、多くのヨガ教室が淘汰されるという厳しい局面を迎えました。
しかし、私はこの変化を一種の「浄化」のプロセスであったと感じています。
このプロセスを乗り越えてきた指導歴のあるヨガインストラクターの仲間たちは、ヨガを正しくきちんと伝えようと努めてきたひとばかりです。
そんな仲間がヨガに真摯に向き合って伝え続けてきた今のヨガ環境だからこそ、私たちはようやく「ポーズを完璧に決めたい」「人より優れていたい」という執着を手放し、ヨガが本来目的とする「心の作用の死滅」に向き合えるようになったのではないでしょうか。
執着を手放し、自由になる
『ヨーガ・スートラ』が説く「タパス(苦行)」とは、単に自分を追い込むことではなく、心身の不浄を熱で焼き尽くし、不必要な執着を取り除くための手段です。また、釈尊が過酷な苦行の先に「中道」を見出したように、私たちは極端な執着を捨てることで、初めて本当の静寂(サマーディ)に触れることができます。
ヨガのマットの上で私たちが練習しているのは、ポーズの形ではありません。
「こうでなければならない」という思い込みや、他者との比較といった、自分を縛り付けている執着にいち早く気付き、それを呼吸と共に手放していく練習です。
情報が整理され、本質が伝わりやすくなった今。
ポーズという形を超えて、自分自身の内側にある執着を一つひとつ手放していく。その先にある、何ものにも縛られない軽やかな「自分の在り方」を、皆さんと共に育んでいきたいと願っています。
【ヨガインストラクター 手塚えりか】 整体師歴22年、ヨガインストラクター歴18年。ヨガが好きすぎてインド哲学を学ぶため高野山大学大学院(密教学専攻)修士号取得。ファンクショナルローラーピラティスベーシックインストラクター、マタニティヨガ、アスリートヨガ指導、瞑想指導者資格保有。年間延べ9000人ほどの生徒を指導。 山梨県昭和町 yogaschoolTSUNAGU: https://tsunagu-yoga.com/